会社案内|ごあいさつ

 複写業の歴史は青写真の歴史と深い関係があります。その青写真は1842(天保13)年,英国の化学者J・ハーシェル氏により鉄塩類が感光性物質になる事が発見され,青写真感光紙として写真技術に応用したことが始まりとなります。

 ジアゾ感光紙は1860(安政7)年ドイツのP・グリェティ氏がジアゾ化合物に芳香属アミノ基,またはフェノール基化合物が結合して鮮明な染料を作ることを発見。その後,1916(大正5)年にドイツのG・コーゲル氏がジアゾ法に適した新しいジアゾ化合物を発見し,カレー社を創業,ジアゾ感光紙を『オザリット』の商品名で世界に売り出します。

 一般の銀塩写真に対して,青写真は主に工業用図面の複写に使用されたので,「工業写真」 と呼ばれるようになりました。

 ちなみに J・ハーシェル氏は,銀塩写真にも関心を持ち,銀塩写真上の発明をしたばかりでなく,ギリシャ語で 「光」 をあらわす 「photos」と 「graph(書く)」 をくっつけ 「光で書く」 を意味する 「photography」 と言う,言葉を造語したとされています。写真という言葉は複写が本家なのかも知れません。

 日本における青写真の歴史は,1907(明治40)年,後藤捷行氏が現(株)ヤエスを設立,青写真焼付サービスを開始したのが始まりと言われています。当時は感光紙の製造も手作業で行われ,太陽光により青写真焼付するという手法であったとのことですが,その後,刷毛を使用して塗付されていた感光液の塗付作業も機械化され,1920(大正9)年頃にドイツからアーク灯を光源にした焼付機が輸入されることで生産性も徐々に上り,さらに高圧水銀灯が開発され照度の高い高品質の光源が確保されました。機器類も,当初オランダから輸入された青写真機器からピース型,パラゴン型,ウィックス型などが改良され国産化されるようになったと業界の歴史書に記されています。

 余談ですが,キヤノン(株)の前身である精機光学研究所は,1933(昭和8)年に東京麻布区六本木に呱々の声を上げています。また,同じ年,大日本セルロイド(株)および東洋乾板を母体として,富士写真フィルム(株)も設立されています。

 1923(大正12)年に起こった関東大震災の復興には大量の青写真が必要とされ,機器の国産化も進みました。

 また,太平洋戦争後の復興時には,東京オリンピックや東海道新幹線・東名高速道路・首都高速道路などの公共インフラ建設による大量の需要により,ジアゾ複写は青写真焼付(陽画焼付)として重要な工業関連の生産品であり続けました。その意味で,この商品が時代において果たした役割は大きなものがあったわけです。

大辻青写真工業株式会社


 大阪市北区堂山町18-3
       オオツジ堂山ビル

 TEL:06-6313-0826
 FAX:06-6313-0828
osaka@otuji.co.jp
アクセスマップ

コピー・複写・青焼き、デジタルサービスの「大辻青写真工業株式会社」